No.017 特集:量子コンピュータの実像を探る

No.017

特集:量子コンピュータの実像を探る

連載02

ヒトの能力はどこまで強化・拡張できるのか

Series Report

多くの知的作業は人間が行うことを前提に作られている

現状の生活や社会の中で行われている知的作業の多くが、人間が行うことを前提に組み立てられている。この点も、これまで人間が行ってきた知的作業を単純に機械に代替させることができない要因になっている。

端的な例を紹介しよう。ホワイトカラーの生産性向上を狙って、「RPA*1」と呼ばれる作業を自動化するITツールの活用に期待が掛かっている。日本では、いわゆる「働き方改革」の実現の鍵を握っていると目されるITツールである。熟練作業者の模範を学習したり、プログラムで作業手順を指定することで、人間のように疲れることも、間違えることもなく知的作業を自動的に進めてくれる優れものだ。

ただし、RPAツールは、どのような知的作業もそつなくこなせるわけではない。パソコン上で行う「データ入力」「検索・抽出」などは得意だが、「計算」や一定のルールに基づく「割振り」「チェック・判断」などは不得意であり、別のITツールを使わなければならない。また、ネットワーク上に散在しているデータの「収集」「集計」「変換」などは、RPAツールでもできないことはないが、別のITツールを使った方がよほど効率的だ。

得意な作業だけをRPAで自動化したとしても、十分生産性向上に寄与するのではないかと考える人も多いことだろう。しかし、オフィスなどで実際に行われている作業は、RPAが得意な作業、別のITツールを使った方が効率的な作業、さらには人間でなければできない作業が細かく織り交ざっている状態が普通だ(図2)。これは、オフィスでの多くの作業工程は、人間が行うことを前提にして出来上がっているからだ。突出した処理能力はないが、様々な仕事をこなせる汎用性の高い知的能力を持つ人間だからこそできる作業工程なのである。このため、既存のオフィスワークに単純にRPAを導入しても、普段行っている定型作業全体を効率化することは難しい。この点はRPAだけではなく、すべてのITツールについて言える。

しかも、ITツールで得た処理結果を基にして、人間が何らかの判断を下す工程が頻出する作業では、ITツールの導入が作業全体の処理効率を下げる結果を招く場合さえある。人間と機械の間での情報のやり取りに、相応の作業負荷が生じるからだ。すべての作業を人間が行った方が人間の頭の中で作業が完結できるため、機械を関与させるよりも、よほど効率的になる場合がある。

[図2] 多様な細かい工程が織り交ざった作業では、機械による単純な自動化はむしろ非効率を招く場合も
作成:伊藤元昭
多様な細かい工程が織り交ざった作業では、機械による単純な自動化はむしろ非効率を招く場合も

人間と機械、それぞれの知性をもっと密接に

現存する様々な知的作業の生産性を上げるための手段として、注目されたのが拡張知能である。極めて汎用性が高い人間の知的能力を基にして、機械の力を借りて、必要に応じた知的能力を強化・拡張していく。言い換えれば、学習や訓練による努力と現場での実践を通じて時間を掛けて習得していた専門家の知識・経験・スキルを、機械で簡単に後付けしようという発想だ。

これまで、機械によって知的能力を向上させる技術の開発は、より安全な自動運転の実現やより強い囲碁の打ち方といった、人間が行う特定の仕事の実行に注目して開発されることが多かった。しかし、先に挙げた例のように、機械が得意な作業の生産性だけを向上しても、世の中で行われている多くの知的作業の生産効率は上がらない。作業全体の生産性を向上させるためには、人間と機械が得意工程を役割分担しながら、それぞれの工程の間を円滑に連携させることが重要になる。そして、この部分で多くの新しい技術が生まれている。

3段階で進む人間と機械の知的能力の融合

人間と機械それぞれの知的能力をより密接に連携させて、拡張知能を実現するための技術の開発は、次のような3段階で進められている(図3)。

[図3] 人間と機械それぞれの知的能力をより密接に連動させる技術開発の動き
作成:伊藤元昭
人間と機械それぞれの知的能力をより密接に連動させる技術開発の動き

第1段階は、人間と機械が、人間が使う言葉を介して共同作業できるようにする技術開発を進める段階である。人間と機械の「円滑な対話」を目指すものだ。これは、Apple社の「Siri」やMicrosoft社の「Cortana」、IBM社の「Watson」といった、スマートフォンやパソコンなどに組み込まれたパーソナルアシスタントとして実用化している。音声認識などの技術を用いることで、人間が機械に問い掛ければ、ネット上やデータベース内にある知識から正しい答えを探し出し、迅速に答えてくれる。

こうしたパーソナルアシスタントは、人間が問い掛けた質問の答えの在り処を検索するだけではなく、質問の内容に答えるかたちに情報を加工し、質問者の意図に沿った表現で回答するように進歩している。ただし、パーソナルアシスタントから知識を引き出すためには、答えを引き出すための質問を質問者が考え、作業を中断して機械に問い掛ける必要がある。また、人間と機械の連携を言語に頼っているため、言語化に際して非効率と誤解が生じる可能性が残る。この人間と機械の距離はまだまだ遠く、課題になっている。

第2段階は、人間が進める知的作業の様子や周辺環境の状況を機械が理解し、人間が求める情報の収集や加工を先回りして実施する技術開発を進める段階である。機械が人間の意図や意思を「忖度し」、周辺環境の「空気を読む」技術の確立を目指す。国会中継などで、大臣が答弁に窮する前に、後ろに控える官僚がそっとメモを差し出す場面を目にすることがある。これに似た関係性を、人間と機械の間で築くことが理想だ。こうすることによって、人間は知的作業を中断することなく、足りない知識や経験、スキルを補って行動できるようになる。

その実現には、人間が発する話し言葉や身振り手振り、顔色、視線、さらには周辺環境の様子などから、人間から問われる質問を機械が的確に推測する技術が必要になる。ここには、ディープラーニングを活用した高度な推論が欠かせない。さらに、人間が作業を中断することなく、さりげなく必要な情報を提示する技術も必要だ。映像として映るモノに、付加情報を重ねて見せる拡張現実(AR)技術などの活用が必要になってくる。特に、過剰な情報を提示しすぎておせっかいにならないように、人間が必要な情報だけを提示する、おもてなしに通じる気遣いも求められる。

[ 脚注 ]

*1
RPA: Robotic Process Automationの略。表計算ソフトのマクロのように定型的な作業を自動化するツールであり、特定のソフトウエアだけではなく、複数のソフトウエアにまたがる作業を横断的に自動化できる。
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