No.017 特集:量子コンピュータの実像を探る

No.017

特集:量子コンピュータの実像を探る

連載02

ヒトの能力はどこまで強化・拡張できるのか

Series Report

人の潜在能力を最大限引き出す

BMIを応用することで、人間と機械それぞれの知的能力を融合させて、より高度な知的能力へと強化・拡張ができる可能性が広がる。さらに、脳の活動と人間の思考・知覚・意識・感情の因果関係を明らかにすることで、人間の知的能力自体を強化しようとする試みも盛んに行われるようになった。より効果の高い学習法を探り、人間が本来持っている潜在能力を最大限引き出す。

教育や訓練によって、知的能力が高まることは誰でも知っている。ところが、どのような教材から、どのような学習法で、どの程度学ぶことで、知的能力が高まるのか、脳の学習原理に基づく科学的な学習法は確立されていない。「イチロー選手は子供のころから毎日のようにバッティングセンターに通っていた」「藤井聡太棋士は寸暇を惜しんで詰め将棋の問題を解きまくっていた」といった学習事例と、その結果得られた圧倒的能力を対応付けながら、学習方法の妥当性を推測することしかできていないのだ。

教育手法の進歩は、経験則に基づくものが中心であり、そこに脳科学的な裏付けは思いのほか希薄だった。これは、脳の活動を正確に検知する方法が確立されていなかったこと、そして脳の活動と人間の思考・知覚・意識・感情の因果関係が十分に解明されていなかったことによる。ただし、この状況はfMRIなど脳の活動を検知する手段が発達したことで一変している。脳内の活動状況を詳細に調べることで、会話や読み書き、計算などを訓練することによる脳内回路の変化が分かるようになった。そして、学習方法の違いによる、学習の達成度の差などが科学的に分かるようになってきている。おそらく、教育分野の方法論は、今後飛躍的に発展することだろう。

脳科学の裏付けを得た学習方法を、人の勉強や訓練に活用するだけではなく、熟練技能者の技能をロボットにコピーするために使う検討もされている。熟練技能者の行動パターンから抽出した効果的な学習法を基に、賢いAIを育てるディープラーニングに応用しようとするものだ。ただし現時点では、なかなか思わしい成果が得られていない。これは確実に社会の要請がある部分であるため、何らかのブレークスルーの登場が期待されている。

脳を直接効果的に躾ける

脳の中の情報を読み出す技術のことを「デコーディング」と呼ぶ。デコーディング技術の進歩は目覚ましく、現在では睡眠中にどのような夢を見ているのかさえ分かるようになった。そして、外部から与えた刺激に対して脳の活動がどのように変化したのか読み取ることで、感じていることや記憶していることを好ましい方向に導く研究が進んできている。「デコーディッド・ニューロフィードバック(DecNef)*6」と呼ぶ技術である(図5)。子どもを褒めたり叱ったりしながら躾けるのと同様のことを、脳に対して直接行う。

[図5] DecNefによって脳の状態を好ましい方向に導く手順
出典:国際電気通信基礎技術研究所
DecNefによって脳の状態を好ましい方向に導く手順

DecNefでは、以下のような手順で学習を進める。fMRIを使って被験者の脳内の状態をリアルタイムで計測する。そして、何らかの学習行為を行い、その結果として好ましい脳内回路の状態に変わった時に、すかさず被験者が喜ぶ報酬を出す。与える報酬は、チョコレートを与えるといったささいなものでよい。こうした学習を繰り返すことで、本人が気づかないうちに好ましい脳内の状態が定着していく。

DecNefを活用すると、人の感覚や行動、感情を、無意識のうちに変えることができる。実際にDefNefで学習した後には、白黒のモノが着色されているように見えたり、人の顔の好みが変わっていたり、判断を下すときに自信が湧くようになっていたり、恐怖記憶が消えていたりといった、様々な効果を与えられることが実証されている(図6)。DecNefの応用分野は極めて広い。そもそも、脳を使わない職業は存在せず、生産性の高い脳を効率よく育てることができるからだ。

[図6] DecNefによる好みの顔を変える実験
出典:国際電気通信基礎技術研究所
DecNefによる好みの顔を変える実験

どのような職業でも、初心者のうちは急速に成長できるが、専門家の域に達すると成長速度が遅くなる。そして、一度専門性を高めてしまうと、新しい専門性を取得するのはなかなか困難だ。しかし、人間と機械それぞれの知的能力を融合させることによる拡張知能、またBMIを活用した人間の知的能力そのものの引き上げによって、私たちの知的能力は天井知らずに成長していく可能性がある。

[ 脚注 ]

*6
DefNefは、科学的なデータに基づく治療ができなかった精神疾患の治療への応用が検討されている。症状と脳内の活動の因果関係を明確にしながら適切な治療ができるため、精神疾患の医療に革命を起こすだろう。例えば、自閉症の患者は数多いが、診断を下すには問診などを基に担当医師の主観で行うしか術がなく、客観的に症状を診断することができなかった。しかし、DecNefによって脳内回路のデータを基に診断できるようになれば、患者の脳内回路の状態を正確かつ詳細に把握して、的確な方法で健常な状態へと導くことができる。

Writer

伊藤 元昭(いとう もとあき)

株式会社エンライト 代表

富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。

2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。

URL: http://www.enlight-inc.co.jp/

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