No.017 特集:量子コンピュータの実像を探る

No.017

特集:量子コンピュータの実像を探る

連載02

ヒトの能力はどこまで強化・拡張できるのか

Series Report

脳の活動を読み取り、無意識で機械を使う

第3段階は、脳の活動から人間の知的作業の進行状況を検知し、人間が機械を使っていることを意識することなく知的能力を強化・拡張する技術開発を進める段階である。人間と機械それぞれ固有の知的能力を「融合」することを目指す。ここに至ると、どのような人でも、高い専門性が要求される仕事に対応できる可能性が出てくる。取り組む仕事の内容と、そこで求められる能力に応じて、自身に融合させる機械の特徴を選び、自在に所望する知的能力を強化・拡張できるようになるかもしれない。

人間と機械の知的能力の融合には、BMI*2と呼ぶ技術の確立が欠かせない。脳波や脳内の血流を検知することで、人間が考えていることを機械が正確に知るための技術の確立が求められる。この分野には数多くのベンチャー企業が生まれている。例えば、アメリカのTesla社やSpaceX社の創業者として知られるイーロン・マスク氏は、「既存のインタフェースの概念を打ち破る」として、BMIを活用して人間と機械の融合を目指す技術を開発するベンチャー、Neuralink社を設立した。

脳の活動を検知する手段の進歩は著しい

近年、脳波や脳内の血流の様子から、人間の思考・知覚・意識・感情などをかなり正確に解釈できるようになってきた。これは、脳の活動を簡単かつ高精度に検知する技術に大きな革新があったからだ。この検知技術の進歩が、BMIの応用拡大、ひいては知的能力の強化・拡張に向けた鍵を握っている。既に、体内への電極の埋め込みなど外科的手法が不要な、脳の活動を非侵襲的に検知する手段として、様々な方法が実用化されている(図4)。

[図4] 非侵襲で脳の活動を検知する様々な方法が実用化されている
出典:脳波計はEmotive Systems社、fMRIは国際電気通信基礎技術研究所、近赤外光計測装置は日立製作所
非侵襲で脳の活動を検知する様々な方法が実用化されている

このうち、最も歴史が長く、利用シーンが広いのが脳波(EEG*3)計である。脳の活動を検知する他の手段に比べて、小型化が容易で、比較的安価な点が特徴である。このため、脳波計は、既にヘルスケアやゲームなど医療以外の分野でも、一般消費者向けの機器として利用が広がりつつある。また、脳波でドローンやロボットの操作やパソコンへの入力もできるようにもなった。

ただし、脳波計は、ユーザーが特別な訓練をすることなく、意識的に機器を制御することは難しい。電極で検知できる脳波は微弱であり、周囲の雑音が紛れ込んで誤動作することもある。また、測定可能な脳の範囲が頭皮近傍に限られ、数多くの電極を頭に付けたとしてもその空間分解能は低い。このため、限られた脳波データから装着者の思考・知覚・意識・感情を同定するための、アルゴリズム開発が極めて重要になる。脳波だけではなく、会話の内容や声色、表情など外から検知できる人間の状態も勘案して、多角的に脳内を推測する技術も重要だ。

一方、脳内の活動をかなり詳細に調べる技術も確立されている。機能的磁気共鳴断層撮影法 (fMRI*4)と呼ばれる、脳内の血流の動きを電磁波で検知する方法である。

fMRIは、脳内の任意の場所の活動をかなり高い分解能で検知することができる。fMRIの登場で、脳の活動と人間の思考・知覚・意識・感情の因果関係を詳しく調べることができるようになり、脳科学は飛躍的に進歩した。ただし、基本的に大病院にだけ置かれている大型医療用検査装置の発展版であるため、小型化は極めて困難だ。このため、電子機器のインタフェースとして活用するのではなく、効果的なインタフェースを開発するための基礎データを取得する目的で使われることが多い。

脳波計と同様に小型化に向き、なおかつfMRIほどではないが空間分解能を向上できる方法として、近赤外光計測装置(NIRS*5)がある。NIRSならば、脳の表面から深さ20mmまで計測できる。神経細胞の活動によって生じた脳内の血流変化の分布を検知する点はfMRIと同じで、近赤外光を照射して赤血球中のヘモグロビンでの反射・吸収の度合いを計測し、酸素の消費量などから脳の活動を検知する。既にウェアラブル型の計測装置も実用化されており、BMIへの応用が期待されている。

[ 脚注 ]

*2
BMI: BrainMachine Interfaceの略。BrainComputer Interface(BCI)と呼ぶ場合もある。脳内の活動を機械で読み取る、逆に脳に刺激を加えることで外部から情報を入れる技術全般のことを指す。近年、精神・神経医療をより科学的な手法で進めるための手段として、急激に進歩してきている。
*3
EEG: Electroencephalogramの略。脳内にある1つひとつの神経細胞の樹状突起に生じた電位などの総和の変動波形が脳波である。脳波計は、頭皮上に当てた電極から、脳波を観測し、脳機能障害の診断や睡眠状態の把握などに活用されている。
*4
fMRI: functional magnetic resonance imagingの略。磁気の力を利用して体の臓器や血管を撮影する検査法であるMRIを応用して、脳や脊髄の活動に関連した血流の増減を視覚化する技術。その基本原理である「BOLD効果」は、東北福祉大学特任教授の小川誠二氏がベル研究所に在籍していた時代に発見した。
*5
NIRS: Near Infrared Spectrometerの略。島津製作所や日立製作所などが製品化しており、言語機能の診断やてんかん焦点の同定、脳リハビリテーションのモニターなどに活用されている。
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