No.019 特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

No.019

特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

Cross Talkクロストーク

人間の医師が行う病理診断の難しさ

中山 健夫氏

中山 ── 今のお話を聞いていて、特殊な脂肪肝の病理診断*14の話を思い出しました。例えばメタボの人は多くが脂肪肝になりやすく、やがて肝障害を引き起こします。

喜連川 ── 脂肪肝は結構怖い症状で、放置しておくと肝硬変から肝臓がんとなって死に至るのではなかったでしょうか。

中山 ── 多くの脂肪肝は飲酒の影響が強く、こちらは大体節酒で改善されるのですが、飲酒と関係なく発症する脂肪肝(NAFL)の一部には非アルコール性脂肪肝炎(NASH)と呼ばれて重症化するタイプがあります。その診断をつけるのが肝生検*15で、病理診断が確定診断になるわけです。ところが肝臓の専門の先生方との共同研究により、ちょっとショッキングな結果が出てきています。つまり同じ標本でありながら、病理診断をする医師が異なると、診断結果が違ってくるのです。それも診断スキルの高い教授クラスの医師が携わっていても、そのような結果が出るのです。

喜連川 ── そんなことがあるのですか。

判断に使われている情報が異なる

中山 ── 一つわかったのは、病理診断をされる先生方は生検のサンプルだけで診断を下していないことです。例えば血液検査の結果を見て、血小板の数値が下がっている場合などは、判定を少し厳しめに書いたりされていました。肝臓の専門医の先生は、患者さんを対面で診ていて、その先生が病理診断をすることもある。その場合には、病理診断だけを行った先生と、さらに異なる結果が出がちです。要するに判断の際に使っている情報が異なるために、結果に違いが出るのです。

喜連川 ── 病理診断と放射線診断が他の診療分野と大きく異なるのは、患者の顔を見ないということであると最近勉強しました。要するに生検の標本や画像だけが送られてきて、それで診断をつけるのだと。実際にはそうでもないということですか。

中山 ── 病理診断の先生方は、基本的に標本しか見ません。血液検査の結果さえも見ないケースもあります。ところが病理診断のオーダーを書く用紙に、患者さんの臨床症状がていねいに書かれていたり、さまざまな検査値が記されていれば、どうしてもそれが目に入るでしょう。一方で、臨床の先生の中には病理診断まで手がける方がいる。そうなると同じ患者さんを診断するのでも、背景となる情報量が異なってくるわけです。

喜連川 ── 生検の標本を見て病理診断しても、他の情報の有無が影響して意見が分かれることがあるわけですね。

中山 ── そのとおりで、さらに臨床の先生との意見も異なるケースがあるのです。

喜連川 ── そこは本来なら、ピュアな病理診断のレイヤーと、多様な情報を統合して判断する総合的なレイヤーに分けて議論したほうが良いように思います。

中山 ── ご指摘の通りです。ところがこれまでは、病理診断が最終診断だと私たちは刷り込まれていたので、病理診断に対する注意が必ずしも十分認識が共有されていなかった可能性を感じます。肝臓の生検については、もう一つ問題があります。つまり肝生検では、肝臓の一部しか採取していません。この一部の標本だけで、本当に肝硬変になっているのかどうか、あるいは炎症が広がっている範囲などがわかるものなのか。このように限られた情報の中で、これまでは先生方が自らの経験に照らし合わせて診断していたわけですが、そこには限界がある可能性を改めて知りました。その意味でも、喜連川先生が手がけておられるような目の診断は、情報が全て揃っているのが強みだと思ったのです。

喜連川 ── 眼科も眼底イメージだけではなく、OCT(Optical Coherence Tomography)*16を始め種々の検査機器がどんどん開発されていますし、又、眼科学会からは眼底以外の疾病判断のご依頼も頂戴しつつあり、簡単な領域からだんだん難しくなっており、楽観的な発言が出来ない状況です。ただ、テキスト情報の融合は興味深い領域でもあり、現在は画像処理を専門とする教官が集っておりますが、これからは自然言語処理の専門家をも招く必要性を強く感じております。

なお、我々も病理画像のAI診断の研究を進め、IT系トップコンファレンスで発表する成果も出ております。今のお話に近いことは、消化器内視鏡学会で議論をしました。やや視点が異なるのですが、要するに、意見が分かれるところにむしろ価値があるということを種々意見交換しました。そもそも明らかなガン部位はあるいは明らかに正常であることの判断は極めて高い精度で判断可能です。しかし時々、どちらとも判断しづらいボーダーな画像が出てきます。これに対しての性能を上げることが大切であるという気持ちは理解出来ますが、むしろ、内視鏡学会の先生方とお話をしたときには、そういう画像は医師とAIが一緒に判断すべきとしました。現在は、情報過多な時代です。ボーダーな画像だけに絞る技術は十分に期待されるものです。人間の判断が個人個人で異なる際の課題と同様、AIと人間で判断が異なる場合も当然あり、今後、その具体的利用局面を重ねることで次第に経験値が蓄積されてゆくものと感じます。

[ 脚注 ]

*14
病理診断: 患者の体より採取された病変の組織や細胞から顕微鏡用のガラス標本をつくり、この標本を顕微鏡で観察して診断する。病理診断は最終診断として大きな役割を果たす。
*15
肝生検: 腹部に生検針を刺し、肝臓の組織の一部を採取する検査。様々な肝臓疾患の原因や病態を把握し、診断や治療方法を決定するために行われる。
*16
OCT(Optical Coherence Tomography): 光干渉断層計。網膜の精密検査を行う検査機器で、赤外線を利用し網膜の断面を画像化する。眼底カメラを用いたこれまでの検査ではわかりにくかった、浮腫や神経繊維の減少といった網膜の異常を発見しやすくなった。
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