No.019 特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

No.019

特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

Expert Interviewエキスパートインタビュー

これからのパーソナル医療にIoTと5Gがカギ

宮田 裕章氏

── IoTや5Gを通してデータを取ることによって、何ができるでしょうか。

今までの医療は集団平均で見てきましたが、これからは個人の数値を見ていく必要があります。体温一つとっても、平熱が35℃の人が風邪をひいて37℃になれば、フラフラになり十分危険な症状を示しますが、平熱が37℃の人もいます。集団間でも違いがあり、高齢者の平熱は低くなる傾向にあります。そのため、危険な状態というのは、個人ごとに違うのです。昨今はゲノム医療が導入されていますが、そこにも個別のバイタルを含めた新しいアプローチが必要になるでしょう。IoT、5Gはパーソナライズに適したテクノロジーですが、それを使って何ができるのか、国と企業が一緒になって取り組みを始めています。

[図7]専門性の拡張と深化
出典:慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室
専門性の拡張と深化

── 具体的な例はありますか。

介護を例にすると、厚労省の要介護認定基準は、制定当時はデータがなかったために、成果ではなく、量 ── どのくらい介護をしているか、どのくらい頑張っているか、という主観的な基準を評価軸としています。要介護2の人が一生懸命頑張って、要介護1、または要支援まで改善すると、支給されるお金は少なくなります。これでは頑張った甲斐がありません。そこで、IoTを利用します。IoTのセンサーを使って、「その人は何ができる人か」という「できること評価」に変えるのです(図8)。すると、評価コストは安くなり、しかも客観的になります。要介護2の人の症状が改善し、コストが安くなった分をインセンティブとして本人や介護士へ支給する事も可能です。そうするとやる気も出ますよね。技術を被介護人の症状の評価だけに使うのではなく、介護を提供した介護士への評価にもつなげるなど、システムのデザインも含めてIoTを活用することで、介護の価値を高め、介護を取り巻く環境そのものを改善することが可能です。

[図8]介護における評価軸のパラダイムシフト
出典:慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室
介護における評価軸のパラダイムシフト

生き甲斐に寄り添う健康を

── 健康に対する価値観を変える、そもそも健康の概念を変えるという事でしょうか。

これから変わって行くはずです。昔の60歳と今の60歳は大きく違いますよね。高齢化は問題ではありますが、元気で働ける方がもっと増えてくれば、社会にとっても活力となります。そこで、これまでのように病気が発症してから治療するだけではなく、もっと手前で予防しようという考えが出てきているのです。

予防には、効果のある予防とない予防があり、効果をあげるためには、本当に必要な人にアプローチすることが重要です。健康介護予防教室を開けば盛況になりますが、そうした参加者たちはそこに行かなくても自分で元気になれます。本当に必要なのは、そのような教室に来ない人や来れない人も予防に取り組んでもらうことです。

誰しも健康でありたいとは思いますが、それはより良く生きるための手段であって、人生の目的ではありません。80歳を超えても山登りをしたい、若い人たちとおしゃべりがしたい、個人によって生き甲斐は様々です。これからは、個人の生き甲斐に寄り添った健康を支えることが、重要になるのではないでしょうか。

ただ生きるのではなく、楽しく生きる ── 「生きる」をデザインする時代に

[図9]楽しさの先にある健康 ── 多様な健康に応える
出典:慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室
楽しさの先にある健康 ── 多様な健康に応える

楽しさを表現する一つの試みとして、ナイアンティック(Niantic)社が開発したのが、全世界で8億5000万件もダウンロードされた『ポケモンGO』です。初期に行われた研究結果から、アクティブユーザーはアプリ導入以前より2〜3倍は歩いている事が分かりました。ただしばらく後にゲームに飽きてその効果は有意なものにはなりませんでした。しかし『ポケモンGO』は日々進化しています。当初は画面を開いている時しか歩数をカウント出来なかったのが、今ではアプリを閉じていても歩数はカウントされるようになり、最近発表された実証研究では活動量の向上を示した研究も出始めています。開発にあたるナイアンティック社は グーグル社のトップチームの一部が離脱して結成された集団で、社の方針は「人々を動かしてビジネスモデルを創ること」というものです。人々への健康というような持続可能な価値への貢献を通じてデータを駆動させる取り組みは、ポストGDPR時代を象徴するものです。

もちろん全ての人がポケモンを好きとは限りませんし、それを無理強いしたいとは考えていません。四季を楽しむ、おいしいものを食べに行く、歴史探訪を楽しむ、人はいろいろな目的で街を歩きます。そういったそれぞれの嗜好に合わせたソリューションを提供することが、健康に寄与していくことになるだろうと思っています。

社会システムの新しい可能性 ── Multi-layered Democracy

[図10]社会システムの新しい可能性 ── Multi-layered Democracy
出典:慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室
社会システムの新しい可能性 ── Multi-layered Democracy

── 新しい健康を支えるための社会の仕組みも、変化が必要ですね。

その通りです。少子高齢化と人口減少が進行する日本において、限られた医療・介護の専門職だけで社会を支えていくことには限界があります。ヤマト運輸が空洞化する団地で挑戦している、地域の見守りサービスは未だ挑戦の途上ですが、新しい可能性を秘めていると感じています。日本郵政や佐川急便などのライバル企業と連携して、団地の高齢者への見守りを行う取り組みは、民間が支える社会システムとしても興味深い取り組みです。こうした取り組みのマネタイズは簡単ではないと思いますが、今後IoTを活用した処方薬の管理と連動するなどの展開が加われば、持続可能なシステムとなる可能性があると考えています。

定期的な通院を行う患者さんが、医師とコミュニケーションできる時間は、月一回の問診の数分間など極めて限られたものです。その限られた時間で、必要な症状や徴候を効果的に伝えることができるかというと必ずしもそうではありません。例えば、日々自宅を訪ねる宅配スタッフがIoTと連動したシステムを用いることで、薬の服薬状況、副作用は出ていないか、症状は改善しているか、などの声がけ確認を行うことが可能になります。これにより限られた時間の医療者とのコミュニケーションの価値を高めるだけでなく、症状が悪化した時などより適切なタイミングで医療者につなぐことが可能になります。このようなネットワークを構築することで、ものを届けるという既存の取り組みが、人々を支えるという新たな社会インフラが発展するかもしれません。

既存の行政組織が、空洞化する団地だけをターゲットにして取り組みを行うことは簡単でありません。一方で民間企業であれば、全国にある同様の団地の間でネットワークを構築し、ビジネスモデルを構築することが可能です。これは先ほど例としてあげた『ポケモンGO』についても同じことがいえます。行政が『ポケモンGO』ユーザーだけをターゲットにした施策を打つことは難しいですが、世界で8億5千万ダウンロードの実績があるユーザーを楽しみながら健康にすることは、重要な社会貢献であるといえます。エリア単位の既存の行政モデルだけでなく、多層型ネットワークは民主主義における新しい可能性となるでしょう。このとき取り組みの価値を高めるためには、健康診断や受診記録、介護保険の需給状況など、様々なデータを安全に活用する仕組みが必要になります。多層型民主主義を支えるためには、多様かつ多元的な価値の共創が前提となるでしょう。

[図11]あらゆる立場の人々が、誰も取り残されず、その人らしく生きられる社会へ
出典:慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室
あらゆる立場の人々が、誰も取り残されず、その人らしく生きられる社会へ

ポスト資本主義では、お金だけが価値を交換するのではなく、データにより金銭も含めて、信用や健康、環境への貢献など、様々な価値を共有し交換することが可能になります。経済的成功だけでなく、何を大事に生きていくのか、どう社会に貢献していくのかが重要になってきます。私たちは価値主導型のライフスタイルへ転換し、人生を再発明する時期にきているのです。中でも健康はその最重要領域です。データという新しい資源を国家や特定の企業が独占するのではなく共有することで、個々人が自らの価値の基準によって選び活用し、新しい価値を共創することが重要になるでしょう。

慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室

宮田 裕章氏

Profile

宮田 裕章(みやた ひろあき)

慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室 教授

東京大学院医系研究科健康・看護専攻修士課程了、同分野 保健学博士(論文)、早稲田大学人間科学学術院助手、東京大学大学院医学系研究科 医療品質評価学講座助教を経て、2009年4月より東京大学大学院医学系研究科医療品質評価学講座 准教授、 2014年4月より同教授 (2015年5月より非常勤)、2015年5月より慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室 教授、2016年10月より国立国際医療医研究センター国際保健政策・医療システム研究科 科長(非常勤)。

社会的活動として、厚生労働省 参与、日本医師会 客員研究員、厚生労働省 保健医療2035策定懇談会構成員、厚生労働省 保健医療分野における ICT活用推進懇談会 構成員、厚生労働省 データヘルス時代の質の高い医療の実現に向けた有識者検討会 構成員、厚生労働省 新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会 構成員、厚生労働省 保健医療分野における AI 実装推進懇談会 構成員、大阪府 2025年万博基本構想検討会議メンバー、福岡市 福岡市健康先進都市戦略策定会議 メンバー、静岡県「社会健康医学」基本構想検討委員会メンバー、沖縄県 健康・医療産業活性化戦略策定業務検討委員会・ワーキンググループ委員。

Writer

津田 建二(つだ けんじ)

国際技術ジャーナリスト、技術アナリスト

現在、英文・和文のフリー技術ジャーナリスト。
30数年間、半導体産業を取材してきた経験を生かし、ブログ(newsandchips.com)や分析記事で半導体産業にさまざまな提案をしている。セミコンポータル(www.semiconportal.com)編集長を務めながら、マイナビニュースの連載「カーエレクトロニクス」のコラムニストとしても活躍。

半導体デバイスの開発等に従事後、日経マグロウヒル社(現在日経BP社)にて「日経エレクトロニクス」の記者に。その後、「日経マイクロデバイス」、英文誌「Nikkei Electronics Asia」、「Electronic Business Japan」、「Design News Japan」、「Semiconductor International日本版」を相次いで創刊。2007年6月にフリーランスの国際技術ジャーナリストとして独立。著書に「メガトレンド 半導体2014-2023」(日経BP社刊)、「知らなきゃヤバイ! 半導体、この成長産業を手放すな」、「欧州ファブレス半導体産業の真実」(共に日刊工業新聞社刊)、「グリーン半導体技術の最新動向と新ビジネス2011」(インプレス刊)などがある。

http://newsandchips.com/

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