No.017 特集:量子コンピュータの実像を探る

No.017

特集:量子コンピュータの実像を探る

Visiting Laboratories研究室紹介

量子の謎「その先を聞いてはならない」

量子の謎「その先を聞いてはならない」

TM ── 先生は、量子の研究を専門にされてきたのですか。

西森 ── 違いますね。私の研究テーマは、大学時代からずっと統計力学です。それ一筋にやってきたと言っても過言ではありません。

TM ── 統計力学とは、どのような学問なのでしょう?

西森 ── 物をどんどん細かく見ていくとどうなるでしょうか。まず分子になり、それは原子からできています。原子の中では原子核のまわりを電子が飛んでいる。さらに原子核の構造を分解してみれば、中性子と陽子になり……と、このようにどんどん細かく見ていくと究極的には物とは、何でできているのか、という根源的な疑問に行き当たります。

TM ── いわゆる素粒子理論ですね。

西森 ── そうです。しかし統計力学では、その逆を考えます。要するに物がたくさん集まって大きくなると、小さな単位では見えなかった現象が見えてくる。身近な水を例にするなら、水の中にはH2O分子がたくさんあるわけです。これが常温なら液体、温度を下げて0℃以下にすると固体の氷になります。逆に温度を上げて1気圧の状態で100℃にすれば気体の水蒸気になる。いずれも分子H2Oの集まりであることに変わりはありません。

TM ── いわゆる相転移ですね。確かに同じH2Oの集まりでありながら、固体、液体、気体と相が変わると、見かけもずいぶん異なってきます。

西森 ── 相転移は分子が多数あるからこそ起こる現象です。では、そうした現象がなぜ起こるのか、あるいはそこにはどのようなメカニズムが働いているのかを解明するのが統計力学なのです。その本質は、この分野で1977年にノーベル物理学賞を受賞したP.W. Andersonが言った「More is different*4」に集約されています。この言葉は統計力学の真髄を言い当てたものです。

TM ── マクロ的な現象である相転移に着目する統計力学の研究が、一体どのようにしてミクロの世界に迫る量子力学とつながったのでしょうか。

西森 ── 相転移に関してスピングラスと呼ばれる物質の性質を調べているときに、量子力学の考え方を援用するとわかりやすくなるのではないかと思いついたのです。

TM ── スピングラスというのは?

西森 ── ガラスを例に説明しましょう。ガラスはSiO2という分子がたくさん集まってできた物です。ただし、原子や分子が規則的に並ぶ普通の結晶状態とは異なり、ガラスの中の分子はランダムに並んでいて、規則性はまったくありません。外見上は固体ですが、内部は液体のような状態であり、かといって液体のように流動性があるわけでもない。こうした状態は「凍結している」と呼べるでしょう。スピングラスとは、スピンと呼ばれる小さな磁石が、ガラスのようにランダムに凍結している物質です。

TM ── スピンとは、確か電子の回転のことですね。

西森 ── 電子の自転により磁性を持った電磁石のような物がスピンです。このスピンが、ガラスの中のSiO2分子のようにランダムな状態で凍結している。だからスピングラス(スピンのガラス)なのです。このような現象が起こるメカニズムを研究している中で、量子力学的な「ゆらぎ」の概念を応用すると一番エネルギーの低い安定な状態がわかるのではないかと思いついたのです。研究成果を「量子アニーリング」と題してまとめたのが、1998年に発表した論文です。

TM ── 量子の世界を突き詰めると、実態はよくわからないと聞いたことがあります。

西森 ── 正直に告白するなら、私もよくわかっていません。よく誤解されるのですが、物理学は「なぜ」を突き詰める学問ではないのです。量子のふるまいを所与のものとして認めた上で、理論を構築しているのが量子力学ですから。「なぜ、そうなるのか?」と物理学者に聞いてはいけません(笑)。

[ 脚注 ]

*4
More is different: 量が増えれば(階層が上がれば)質が変わるというのは、単純な要素還元論に対峙する自然観として打ち出された。
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