Visiting Laboratories研究室紹介
量子コンピュータの開発を推進する理論的研究
2018.6.29
2015年、GoogleとNASAによる量子コンピュータに関する研究成果が大ニュースとなった。カナダのD-Wave Systemsが開発した量子アニーリング型コンピュータを使い「組合せ最適化問題」を、従来の最大1億倍の速さで解いたというのだ。このコンピュータの核となるアイディア「量子アニーリング」を1998年、世界で初めて発表したのが西森研究室である。量子アニーリング方式による量子コンピュータの理論的基盤として、論文が世界中で盛んに引用されている西森教授を伺った。
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第1部:
東京工業大学
理学院 物理学系教授
西森 秀稔
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第2部:
東京工業大学
理学院 物理学系
物理学コース博士課程2年
奥山 真佳さん
第 1 部:東京工業大学 理学院 物理学系教授 西森 秀稔
コンピュータへの応用など、まったく頭になかった
Telescope Magazine(以下TM) ── 最近、注目を集めている量子コンピュータの原理を考え出されたのが西森先生だと伺いました。
西森 ── 結果的にそうなりましたが、1998年に論文を書いた時点ではコンピュータでの計算に使えるなどとは夢にも思いませんでした。ところが、私たちが論文を発表して2年後のことです。組合せ最適化という問題*1を解く際には、われわれが考え出した量子アニーリング*2と呼ばれる量子力学的な効果を使う方式を応用すると非常に効率良く解ける、と主張する論文をMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究者たちが発表したのです。
TM ── MITの研究者たちは、西森先生の先行研究を読んでいたのですか?
西森 ── 見ていなかったと言っています。今では彼らとよく話をする間柄であり、嘘をいうような人たちではないことはわかっています。だから偶然の一致で、本当に知らなかったのでしょう。ただ2001年に彼らの論文が『Science』に掲載された際には、私たちの論文がきちんと引用されていました。おそらくは同誌のレフェリーが私たちの論文の存在を知り、引用するように指示したのでしょう。とはいえ、それだけなら社会に大きな影響与えるようなことではなかったのです。
TM ── 状況が一変したのは、MITの研究者たちのアイディアに基づいて、D-Wave Systemsが実際に量子コンピュータを作ったからですね。
西森 ── D-Wave1が発表されたのは、2011年のことです。これは、私たちが考案した量子アニーリングの考え方に基づいて、組合せ最適化問題を解くために開発された量子コンピュータでした。もっとも開発当初は、本当にこれが量子コンピュータなのかとずいぶん怪しまれていたようです。そもそも量子コンピュータといえば、それ以前は量子ゲート方式*3を意味していました。ところが、量子ゲート方式の開発はまったく進んでいなかったのです。そんな状態だったにも関わらず、いきなり商用量子コンピュータが、それも量子アニーリングという新たな方法論に基づくマシンが開発されたというのですから、眉唾ではないかと思われたようです。
TM ── 量子アニーリングを最初に考案したのが西森先生と門脇さんであることは既に知れ渡っていたのに、D-Wave Systemsから先生に何か接触はなかったのですか。
西森 ── 実はD-Wave1がまだ世に出る前の2010年頃、D-Wave Systemsの創業者から、日本でマシンを設置する気はないかというお誘いのメールが届きました。そのときは「ない」と即答してしまったのですが、今にして思えば、ちょっと惜しいことをしたなと後悔しています。最近でこそ少し人並みの感覚に近づいてきましたが、かつての私は研究一筋で生きてきた、かなり浮世離れした人間だったのです。もう少しうまく立ち回っていれば、今ごろは南の島でハッピーリタイアメントできていたかもしれません(笑)。
TM ── D-Wave Systemsは、その後D-Wave2を開発し、さらに次の開発にも取り組んでいるそうですね。
西森 ── 2017年に出荷された最新バージョンのD-Wave 2000Qは、利用できる量子ビットの数が2000個以上へと大幅に増加しています。非常に高度な技術を実現できた背景には、彼らの優れた研究力があります。アメリカでのコンピュータ製造技術の特許取得数が、4位につけているのです。1位がIBM、2位がHP、3位が富士通で、その次がD-Wave Systemsです。1位から3位までは数十万人の社員を擁する会社ですが,D-Wave Systemsは社員数わずか150人程度の企業で、異例ともいえる特許の多さです。社員の3分の1ぐらいがドクターで、企業というよりは研究所と呼ぶのがふさわしいでしょう。そしてD-Wave Systemsの躍進に伴い、私を取り巻く環境も急変していきました。
[ 脚注 ]
- *1
- 組合せ最適化問題: 与えられた条件を満たすような組合せを選ぶとき、選べる組合せの中から一番良いものを探し出す問題。
- *2
- 量子アニーリング: 組合せ最適化処理を高速かつ高精度に実行できると期待されている計算技術。1998年に門脇正史氏と西森秀稔氏によって理論的に提案された。
- *3
- 量子ゲート方式: 従来型のコンピュータにおいて「ビット」と呼ばれる、「0」か「1」のいずれかを取るデジタル信号を、同時に「0」でもあり「1」でもあるという“重ね合わせ”の状態を取る「量子ビット」で置き換えてそれらに順次演算を施していくコンピュータ。