No.017 特集:量子コンピュータの実像を探る

No.017

特集:量子コンピュータの実像を探る

Visiting Laboratories研究室紹介

西森 秀稔教授

研究の面白さはどこに?

TM ── なんだか禅問答のような深い話になってきました。

西森 ── 数学で説明するなら、ユークリッド幾何学では2点を最短距離で結ぶ線分が直線であり、三角形の2辺の和は1辺より長いと公理で定められています。この公理を認めた上で論理を積み重ねた学問がユークリッド幾何学です。ニュートン力学にしても、重力があることを前提として構築されています。なぜ重力があるかは問わないのです。量子力学も同じように出発点が必要であり、これは「不確定性原理*5」と呼ばれます。

TM ── 量子コンピュータでよく言われる「0」と「1」を重ね合わせた状態が同時に存在するという話も、そういうものだと理解するしかないわけですね。

西森 ── D-Waveマシンのチップの中で何が起こっているのかは、実験的に確かめられています。チップの中には超伝導状態になったスピン(量子ビット)がたくさん並んでいて、超伝導状態なので抵抗なく電流がまわりますが、右回りと左回りの電流が同時に存在するのです。これは2つの状態が重ね合わせになっていることを意味します。仮に左回りに電流が流れる状態を「1」とするなら、逆に右回りに電流が流れる状態が「0」です。このような量子ビットを利用して組合せ最適化問題を解くのです。

[図1] D-Waveのチップの中で起きている現象
超伝導状態のときに右回りと左回りの電流が同時に存在する。
出典:Johnson et al.Nature 473,194-198(2011)
D-Waveのチップの中で起きている現象

TM ── 極めて難解な研究ですが、その面白さはどこにあるのでしょう。

西森 ── 難解といえばそうですが、研究手段として使っているのは、極めて基礎的な統計力学や量子力学であり、学部生が物理学の講義で学ぶような内容に過ぎません。こうした基礎理論を使った基礎研究の成果が、画期的な量子コンピュータの実現につながりました。我々物理学者は本来、世の中の役に立つことを目的として研究に取り組んでいるわけではありません。けれども、たまたま統計力学やそこから生まれた量子アニーリングなどは、世の中の役に立っている。好きな研究を突き詰めた結果が、実用につながったわけで、これほど痛快なことはありません。

TM ── 先生は今でも研究に取り組まれているのですか。

西森 ── 自分でもある程度はしますが,どちらかというと学生の指導がメインとなっています。若い頃には学生に課題を出しておきながら、面白そうなテーマだと自分で夜中に夢中になって計算してしまい、次の日に「答えが出ちゃったよ」と学生に言うなど、ひどいこともしていました。けれども最近は夜になると眠くなりますから、そんな無茶もできません。ただ、世界各地で開催されるカンファレンスには呼ばれるので、そこで研究成果を発表しています。

TM ── 量子コンピュータは今後、すごいことになりそうですね。

西森 ── 現状は報道がやや過熱気味で、夢のコンピュータというような書き方は誇張だと感じます。ただ、基礎研究が実機に反映され、実機をつくる段階で出た問題点が基礎研究にフィードバックされて研究が進展する。これが、地味ですが学問的に面白いところです。まだまだ開拓の余地はいくらでもあるので、若い人たちにはぜひ、この分野の研究に参加してほしいと思います。

[ 脚注 ]

*5
不確定性原理: 量子力学における基礎的原理。原子や電子などの世界では、一つの粒子について、位置と運動量、時間とエネルギーのように互いに関係ある物理量を同時に正確に決めることは不可能であること。
TELESCOPE Magazineから最新情報をお届けします。Twitter