No.019 特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

No.019

特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

Cross Talkクロストーク

科学はより精密さを求める

中山 健夫氏

喜連川 ── 話を聞いていて「プリサイス(精密)」というキーワードが思い浮かびました。確かに人間の個体とは極めて多様性に富んだ存在です。人間に対して診療ガイドラインに定められているような、ある意味では大括りしたともいえる診療法で、本当に個々人に合った対応ができるのかという発想が出始めてきたのでしょう。「プリサイスメディスン」という言葉もご存知のようにありますが、この「プリサイス」という概念は今、多くの分野で取り上げられています。例えば「プリシジョンファーミング」つまり精密農業という考え方が出てきています。

中山 ── それは初めて聞きました。日本で行われているのですか。

喜連川 ── 農業におけるシリコンバレーとも呼ぶべき場所が日本にあります。

中山 ── まったく聞いたことがありません。どこにあるのでしょうか。

喜連川 ── 北海道の十勝です。中国・深センにあるドローンのメーカーは、十勝で大活躍しています。

中山 ── 確かに北海道なら、ドローンを思う存分飛ばせるぐらいに農地が広そうです。

喜連川 ── 北海道にある農場は、アメリカの大農場と勝負できるぐらい広大です。そこにある大きな圃場(ほじょう)について考えてみましょう。地中の養分や水分含有量、肥料となる窒素やリン酸の含有量などは、圃場全体で一様なはずがありません。精密農業では、施肥をその土地にフィットさせ、無駄を省き低コストで収量を増やす方策が探られています。ドローンは圃場内の観測や施肥に活用されているわけです。

インダストリー4.0、あるいはマスカスタマイゼーションの時代

喜連川 ── 数年前からドイツがインダストリー4.0*9という新しい概念を打ち出していますが、あれの正体はマスカスタマイゼーション*10です。わかりやすくいえば、ユニクロとZOZOTOWNの違いです。ZOZOSUITはご存知ですか。

アメリカの雑誌『TIME』が、今年の優れた発明を50表彰していますが、その中で日本の発明として取り上げられたのがZOZOSUITです。これはオーダースーツをつくるためにサイズを測定するアイディアで、水玉模様の入ったスーツを着てスマホアプリで撮影すると、体のサイズが正確に測定されます。

人間は非常に多様な存在であるという事実が、一般的に受け入れられる時代になってきています。

マスプロダクションの時代は、効率を考えて単一のものしかつくれませんでした。けれども、テクノロジーの進化により、多様なものを効率的に作れるようになった。これが今の時代のトレンドであり、多様性に対応するためのデータ収集の時代とも言えます。

中山 ── 医療においても今後は、セグメンテーションが極めて重要になってくると思います。血圧に限らず様々な検査の基準値が、性別を問わず全年齢で同じというのはおかしい。仮に40歳以上の人を対象にした追跡調査を行って、血圧、コレステロール、血糖値や肥満度が、将来の脳卒中や心筋梗塞の発症とどのように関連しているのかを調べたとします。こうした疫学調査はこれまでも行われてきましたが、調査数の規模がせいぜい10万人レベルでした。ところが特定健診のデータを使えれば、毎年2000万人分のデータが集まります。これを性別、年齢別に分けてみれば、かなりプリサイスな基準値を提示できる可能性があります。

喜連川 ── 究極の個別となれば、ZOZOSUITのように一人ひとりとなるわけです。一方で、現状の診療ガイドラインを改めようとしても、個別のガイドラインをつくるほどにはテクノロジーは進化していません。もとより実際の医療においては、そこまでプリサイスにする意味もないかもしれない。であれば中山先生のおっしゃるセグメンテーション、つまり一定規模のクラスに分けて考えるのが現実的でしょう。税制なども以前なら簡素簡潔化するしかなかったけれども、テクノロジーが進歩したおかげで、各世帯の実情に応じて課税率を変えることが技術的には可能になっています。もちろん完全に個別化することはできませんが、マイクロクラスターのような形をベースとしながら、場合によっては個別に対応していけばよいのではないでしょうか。

[後編あらすじ]

ビッグデータを医療に活用するためには、何が必要なのか。重要なのは、まずデータを正確に解析することだ。後編では画像データを中心にさまざまな解析に取り組んでいる医療ビッグデータ研究センターの事例をはじめとして、データ解析の現場で起こっている問題点なども交えて、今後のデータ活用のあり方について語ってもらう。

[ 脚注 ]

*9
インダストリー4.0:
ドイツ連邦教育科学省の勧奨により、2011年にドイツ工学アカデミーが発表したドイツ政府が推進する製造業のデジタル化・コンピューター化を目指すコンセプトであり、国家戦略的プロジェクトである。
*10
マスカスタマイゼーション:
コンピュータを利用した柔軟な製造システムによる特注品の製造のこと。低コストの大量生産プロセスと柔軟なパーソナライゼーションを組み合わせたシステムである。

Profile

中山 健夫氏

中山 健夫(なかやま たけお)

京都大学大学院医学研究科副研究科長・社会健康医学系専攻長・健康情報学分野教授。

1987年東京医科歯科大学医学部卒、米UCLA fellow、国立がんセンター研究所室長を経て2000年京都大学大学院助教授、2006年同教授。日本疫学会、日本臨床知識学会等の理事、日本医療機能評価機構Minds運営委員長、社会医学系専門医・指導医

喜連川 優氏

喜連川 優(きつれがわ まさる)

国立情報学研究所所長、東京大学生産技術研究所教授。

1983年東大工学系研究科情報工学専攻博士課程修了。工学博士。翌年、東大生産技術研究所講師、現在教授。情報処理学会会長、日本データベース学会会長。紫綬褒章、レジオン・ドヌール勲章シュバリエを始め多数受賞。

Writer

竹林 篤実(たけばやし あつみ)

1960年生まれ。ライター(理系・医系・マーケティング系)。
京都大学文学部哲学科卒業後、広告代理店にてプランナーを務めた後に独立。以降、BtoBに特化したマーケティングプランナー、インタビュワーとしてキャリアを重ねる。2011年、理系ライターズ「チーム・パスカル」結成、代表を務める。BtoB企業オウンドメディアのコンテンツライティングを多く手がける。

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