No.019 特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

No.019

特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

Expert Interviewエキスパートインタビュー

高橋 祥子氏

己を知れば、百戦危うからず

── 確かに、自分の遺伝子情報を知っておけば、生活していく中で積極的に取り組むべきことや自制すべきことなどが明確になるような気がします。

まさに、そこが個人向けに遺伝子解析サービスを提供している狙いです。たとえば、長年にわたってお酒を飲み続けてきた人ならば、自分の体質はだいたい分かっていると思います。しかし、20歳を超えたばかりの若い人は、お酒を飲む前に自分の体質を知っておいたほうがよいでしょう。自分はどの程度飲めるのか知っておけば、強い人と同じ量を飲んでしまって、二日酔いや食道がんになるリスクを軽減できます。自分のことを知らないまま周りに合わせて行動するのは損ですし、場合によっては命に関わる可能性すらあります。

私たちの会社では、福利厚生の一つとしてアルコール体質に関する遺伝子解析サービスを受けられます。そのため、自分のアルコール体質や疾病リスクに関する知識を、誰もが当たり前のように知っています。だから、会社の集まりでお酒を飲む際にも、その点を頭に入れながら飲むといったように、日常的に個人の体質には差があることを理解したうえでの付き合いが行われています。

── 自分の遺伝子解析の結果を知って、がっかりしたり、ショックを受けたりといったことはありませんか。

これまで知ることができなかった自分の遺伝子情報を、テクノロジーの進歩によって調べることができるようになったわけですから、いかに上手く活用していくかが重要です。お酒に強いか弱いかについても、弱いからダメだということではありません。

たとえば、遺伝的にストレスに強い人と弱い人が共存しているというのは、それ自体に何らかの意味があるのだと思います。ストレスに強い人ばかりだと、災害発生時などに対処が遅れてしまうかもしれない。ストレスに敏感な人がいること自体が、人類という種にとってプラスであり、環境が変化しても種の繁栄を維持できるのです。あらゆる遺伝的多様性には意味があります。あらゆる疾患のリスクが全部高い人も、全部低い人もいません。違って当たり前なのですから、多様性を受容して、むしろ上手に生かすことが大切だと考えています。

遺伝子情報の大衆化によるインパクトは社会制度や組織論にも及ぶ

── 遺伝子解析の結果を良し悪しでとらえるのではなく、色の違いと考えれば、自分の色に合った生き方ができるのかもしれません。ただし、現在の社会制度や会社などの組織、またマネージメントの手法などは、どうしても人が均質であることを前提とした仕組みになっていることが多い気がします。これから遺伝子情報が大衆化すれば、遺伝的多様性を前提とした方法論が生まれてくるのかもしれません。

その通りだと思います。これまでの社会や産業の発展形態を振り返ると、画一的な決まりごとを定めたほうが効率的という前提があったように思えます。たとえば、自動車などの機械を作る製造業では、作り手が同じものを大量に作り、使う側もみなが同じものを使ったほうが効率的だったわけです。しかし、本来生物は個体ごとに特徴が違っているのが当たり前で、同じ両親から生まれた兄弟でさえ大きな違いがあります。こうした違いに寄り添う仕組みが、遺伝子解析をきっかけにして、これから整っていくことを願っています。

── 遺伝子解析の進歩は、研究機関や医療業界など、いわば理系の世界の大きなトピックスだと思っていましたが、実は社会や産業界など、より広い世界で大きなインパクトを及ぼすのかもしれません。

高橋 ──人の生き方に関わる話なので、理系の世界だけの話にはとどまりません。ゲノム編集をヒトに応用することの是非を巡って、今や世界中が大騒ぎになっています。ゲノム編集が画期的な技術であるのは確かですが、ヒトへの適用は倫理的観点から禁止する動きが加速するでしょう。ただ、その方向性を決めるうえで明確な判断基準があるわけではありません。結局、人類はどこに向かいたいのか、何を大切にしたいのかという人文科学的な考察がとても重要になってきます。そういった時代に向けて、遺伝子情報を個人が知っていることを前提とした社会を、これから作っていくことになるのだと思います。

── 解析結果を受け取る側も、相応のリテラシーが求められそうです。

今は教科書にも載っていますが、ヒトゲノムが解読される以前に教育を受けた人は、大人になってから遺伝子について勉強するしかありません。しかし、特に興味がある人でない限り、改めて勉強なんてしないでしょうから、そこが解析結果を正しく活用してもらうためのネックになると思います。私も、ゲノムについての本を出すなど、少しでも興味を持ってもらえるように、様々な方法で情報発信するよう努めています。

── 自分の体質などに漠然とした不安や誤解を持つより、遺伝子解析を受けて明確な指標が得られるほうが、判断がしやすくなることは確かです。テスト結果で得られる偏差値も、いろいろな批判はありますが、自分を映す鏡にもなるし、努力をするうえで励みにもなります。要は指標の使いようですね。

自分の物差しをしっかりと作って、何事もそれに照らし合わせながら判断していくという使い方をしていただければと思います。

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