No.019 特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

No.019

特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

Visiting Laboratories研究室紹介

康永 秀生教授

ベストな医療を求めて臨床疫学の世界に

TM ── 先生はもともと臨床医をされていて、疫学研究に移られています。その理由は何だったのでしょうか。

康永 ── 学生時代から、いずれ研究職に就きたいとは思っていました。しかし、学部を卒業して研修医、続いて外科で臨床医として勤めるようになり、非常にやりがいを感じていたのです。臨床は毎日、個々の患者さんに接するとてもヒューマンな世界ですから。ただ、現場で日々痛感させられたのが「医療の不確実性」でした。

TM ── 臨床から研究へと転換される際には、何か直接的な切っ掛けがあったのですか。

康永 ── 私が担当していた若い乳がんの患者さんがおられました。彼女に対して、手術や抗がん剤など当時としては最高の治療を施しましたが、残念ながらその生命を救うことができませんでした。それでも彼女は最後に、「ありがとうございます」と私に言ってくれたんです。この言葉に、私は生涯をかけて応えなければならないと思いました。そのため、臨床疫学研究を通じて不正確な医療を何とか少しでも正確にし、科学的根拠に基づく医療を提供するという手段を選んだのです。

TM ── まだまだ黎明期にある臨床疫学研究を広げるため、研究室ではどのように研究を進められているのでしょう。

康永 ── すぐ近くに東大病院があるので、その先生方との共同研究に取り組んでいます。百数十名いる先生方の、それぞれ臨床の現場で抱いた問題点が、研究のシードとなるものです。例えば、何らかの治療を施した場合の効果を、既存のビッグデータを活用して検証する。具体的には、データの統計解析がまずやるべきこととなります。

TM ── 医療データの統計解析では何が重要なのでしょうか。

康永 ── 実際の臨床データには、相当な偏りがあります。ある病気について1つの治療法と別の選択肢を比較検討するにしても、患者さんの病気の重さや年齢の分布には偏りが見られます。その偏りを統計学的に調整して取り除かないと、誤った結論が出てしまうのです。ビッグデータを使った研究を行うためには、それを扱う統計技術が欠かせません。とはいえ、医学部の6年間で学ぶ統計学はわずかなもので、学生の間は統計の重要性を認識する機会はほとんどありません。実際に臨床経験を積んでいく中で、医療は確率だということを体感するようになり、その結果として統計の重要性を理解できるようになるのです。

TM ── では、先生の研究室ではまず統計から学ぶのですね。

康永 ── 統計に加えて、臨床疫学の研究デザインです。さらには医療経済学など幅広い知識が必要になります。

TM ── 先生の指導方針を教えてください。

康永 ── 社会人大学院なので、基本的には医師などの医療従事者として臨床経験を積んだ方を迎え入れています。だから、まず自分の臨床経験に基づいて、それぞれが抱えている疑問を元に自分で研究デザインを考えてもらいます。テーマは自由です。その上で、教員がサポートしながら研究デザインをブラッシュアップし、統計解析の方法を学んだ上で研究計画を立てます。そして、もう一点大切にしているのが、上級生が下級生をサポートするサイクルです。人に教えることが、上級生にとっても最高の学びになるからです。

TM ── 研究室を巣立っていく方々への期待とメッセージをお願いします。

康永 ── 基本的にはみんな臨床の現場に戻っていくので、そこでも臨床研究を続けてほしいし、学んだ知識をまわりの先生たちにぜひ広めてもらいたい。それにより臨床疫学の裾野が広がっていくはずです。高いレベルの教育を受けた者の責任として、自分が得た知識や技術を多くの人に伝えてほしいと思います。そしてもう一つ、臨床に戻れば忙しくなるのはわかるけれども、研究をいつまでも続けてほしいですね。

東京大学大学院東京大学大学院東京大学大学院

康永 秀生教授

Profile

康永 秀生(やすなが ひでお)

東京大学大学院医学系研究科 臨床疫学・経済学 教授

1969年生まれ。博士(医学)。東京大学医学部卒業後6年間、医師として病院勤務の後、東京大学大学院博士課程を経て、東京大学で助教、准教授を務め、2013年より現職。専門は臨床疫学、医療経済学。日本臨床疫学会理事。Annals of Clinical Epidemiology編集長。
近著に「すべての医療は『不確実』である」(NHK出版)、「健康の経済学」(中央経済社)、「必ずアクセプトされる医学英語論文〜完全攻略50の鉄則」(金原出版)、「できる!臨床研究〜最短攻略50の鉄則」(金原出版)など。

Writer

竹林 篤実(たけばやし あつみ)

1960年生まれ。ライター(理系・医系・マーケティング系)。

京都大学文学部哲学科卒業後、広告代理店にてプランナーを務めた後に独立。以降、BtoBに特化したマーケティングプランナー、インタビュワーとしてキャリアを重ねる。2011年、理系ライターズ「チーム・パスカル」結成、代表を務める。BtoB企業オウンドメディアのコンテンツライティングを多く手がける。

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